あなたは渋沢栄一の「論語と算盤」をご存じですか?

1.現在の経済の礎を作った

渋沢栄一(1840~1931)は日本において約600社もの社会事業を同時並行で行った実業家です。実は現在においてもその600社のうち、300社は現存しています。現在の会社でいうと3年持つ会社が30%くらいと言われている中で、100年近く経過するのに50%も残っているというのは異常です。現存しているのには理由があるのです。それは、彼が経済を見通す力があったからに他なりません。

彼が手掛けた事業は多岐に渡り、第一国立銀行(現在のみずほ銀行), 東京瓦斯, 王子製紙, 田園都市, 京阪電気鉄道, 東京証券取引所等があります。これらの企業をみると分かることがあります。第一国立銀行や東京証券取引所はお金に関するもの、東京瓦斯はエネルギーに関するもの、田園都市, 京阪電気鉄道は輸送に関するもの、王子製紙は情報に関するものであることが分かります。王子製紙がなぜ情報かというと、世界3大発明の一つに印刷がありますが、印刷するためには紙がないと印刷することができません。紙があれば必要な情報を書くことができます。このように、渋沢栄一は現在においても人々の生活になくてはならないものを社会事業として成り立たせたから、現存している会社の割合が50%もあるのです。

2.激動の時代にこそ起こるイノベーション

渋沢栄一が生きた時代は日本で言うと、江戸時代から明治時代に渡ります。この時期は、黒船来航~明治維新、西南戦争等々、非常に慌ただしく、価値観の転換が起きた時でもあります。そうした激動の時代を生きた人物でもあります。そうした激動の時代においてはイノベーションが起こりやすいのです。

例えば、産業革命の時代、18世紀半ばから19世紀だが、ヨーロッパは戦争に明け暮れていました。この時代を生きた人で有名なのが皇帝ナポレオンです。この戦争を勝ち抜くためには今まで通りのやり方では難しく、産業革命が求められていました。これにより、劇的に生産性がアップして、工業生産品の1/3をイギリスが占めるという時代を経験しました。

なぜ日本で産業革命が起きなかったのかというと、同時期の日本では江戸時代で鎖国をしていたので、幾度となく飢饉には直面しましたが、大きな戦いの無い平和な時代を過ごしていました。平和であり戦いがないから技術の進歩もしなくても成り立っていたからです。平和な時代というのはイノベーションは起こりにくいのです。

3.会社に置き換えて考えてみると

これを会社に置き換えてみると、競争のないところには進歩もないということが言えるのではないでしょうか。仮に、何の競争もない会社を思い付くだけ挙げてみてください。会社としては独占していて、安定して利益を上げている会社もありますが、依然旧体質な会社で変革が遅い会社ではないでしょうか。競争があるところはより良い会社や製品を作るために必ず何かしらの工夫や努力を行っています。

但し、あまりに激しい競争があると、人々はその競争に疲弊してしまいます。過度な競争は避けるべきですが、適度な競争は必要です。

メルマガ配信月2回配信してます。登録は下記からお願いします。

【メルマガ登録フォームはこちら】https://form.os7.biz/f/b4939845/

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事