プロコーチのこばふみです。今回は「徳川家康」です。

 

 

 

『こばふみ』の始まりの言葉
あなたは戦国3武将(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)で誰が好きですか?それはなぜですか?

徳川家康が目指したもの

先日、江戸幕府初代将軍である徳川家康を祀った日光東照宮に行ってきました。徳川家康がどういう人物で何を目指していたのかが理解できた気がしました。

徳川家康は三河国の松平家に生まれ、幼名は竹千代です。その当時の三河国は周りを織田氏、今川氏と強豪に囲まれていましたので、三河国が生き残る為には強豪国の傘下に付くしかありませんでした。そして、幼少期は母元を離れ、織田氏や今川氏の元へ人質として過ごします。

そういう境遇にあってからか、家康は戦いがない平和を望みます。その当時は戦国時代で強い者が弱い者を支配する弱肉強食の時代。各地で戦いが繰り広げられており、世の中は混沌とした状況に陥っていました。

そんな中、織田信長が全国統一の野望を掲げるも本能寺で無念の死を迎え、その家臣であった豊臣秀吉が全国統一を成し遂げました。徳川家康は信長との同盟は一切破ることはなく最後まで貫き通し、秀吉とも最初こそ争いはしたものの後には臣下として、秀吉の死後まで尽くしました。

これは、人質として出されているときに、『武』術だけではなく『信』や『義』を学んだ事が影響していると言われています。

『信』と『義』が表すもの

『信』とは、真実で偽りのないことを指します。『信』を使った漢字では、信用、信頼、信仰、信号があり、宗教や倫理の分野にも繋がっている漢字です。

『義』とは、人間の行動や道徳のことと指し、「正しい」とされる概念のことです。義を使った漢字は、正義、義人等があります。

太平の世の礎を築いた家康

よく戦国3武将の性格をホトトギスにかけて下記のように表現されます。

織田信長:鳴かぬなら 殺してしまえ     ホトトギス
豊臣秀吉:鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス
徳川家康:鳴かぬなら 鳴くまで待とう  ホトトギス

どの武将が優れていたかということを議論したいわけではありませんが、一時代を築いた人物としてみた時、一番短かかったのが織田信長であり、一番長かったのが徳川家康でした。

織田信長は珍しいもの好きでポルトガルからの鉄砲も積極的に戦に取り入れましたし、キリスト教の布教にも一躍担いました。しかしながら、気性が荒い性格ゆえ、明智光秀の反感をかってしまったことが、短くなってしまった要因ではないかと感じます。

豊臣秀吉は才能である知恵を活かしながら農民から出世したという点で、努力の人という印象が強いです。しかしながら、自らが農民出身でありながら、検地を行って税金をきちんと取る仕組みを作ったり、一揆等の反乱を起こさないよう刀狩りを行いました。そして、全国統一を成し遂げた後、朝鮮出兵をしたことでその地位を危うくさせてしまいました。

徳川家康は『信』や『義』を重んじ、時代の流れを読んでじっとその気が来るのを待っていたことで、江戸幕府を開くことができました。これだけ聞くと、家康は腹黒いのではと思う部分もありますが、家康の『信』や『義』という考え方が264年にも及ぶ江戸時代という太平の世の礎を築いたと言っても過言ではないでしょうか。

『平和』と『文化』

新元号は『令和』に決まりましたが、過去の元号と同じく、平和への願いを込めて『和』という文字が使用されています。ちなみに『大化』から始まって今まで至る元号に『和』という漢字は20回使用されており、日本人が平和を好んでいる民であることを示しているのではないでしょうか。

『和』と言えば、聖徳太子の『和を以て貴しとなす』が思い浮かびますが、お互いに仲良く、調和していくことが最も大事であることの教えが日本人のDNAとして刻み込まれているのではないかと思っています。

痛烈な皮肉やブラックユーモアに満ち溢れている辞書『悪魔の辞典』において、『平和』は戦争と戦争の間というように定義づけされており、戦争のない期間が平和と定義づけられています。戦争がない時代において歴史に名を残すことは容易ではありませんが、平和である時代だからこそ、現代にも影響を及ぼしている様々な町人文化が生まれました。現代で言えば、日本が誇るマンガやアニメもその一部だと言えます。そんな日本が誇るものをこれからも受け継いでいきたいものですね。

『こばふみ』の終わりの質問文
あなたにとって、『徳川家康』はどのような存在ですか?

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