「常識人」の多い世の中とは?

あなたは「常識」というと何を思い浮かべますか?

「常識」とは?

「常識」とだけ言われても人によって捉え方や定義が異なります。これを渋沢栄一の『論語と算盤』を用いて読み解いて行こうかと思います。

「智」、「情」、「意」の三者が各々権衡を保ち、平等に発達したものが完全の常識だろう

渋沢栄一『論語と算盤』

渋沢栄一は「智」、「情」、「意」の3つを兼ね備えた人のことを常識人と呼び、そのバランスを保ちながら、発達させていくと完全の常識となると述べています。

「智」とは?

「智」というのは、智恵のことを指します。これが十分に進んでいないと、物事を識別する能力に乏しく、善悪の識別もできなくなります。これがないと物事の善し悪しを判断することが難しくなります。

一般的な学校教育では智というと、知識を身に付けることに重きを置かれています。しかし、実際に社会に出てみると知識だけでは役にただす、問題を解決することができなかったり、困難にぶち当たります。

私自身も大学から社会人になったときに、知識というのは持っているだけでは何の役にも立たないということを経験してきました。例えば、私は選考は化学工学だったのですが、大学では計算ばっかりしてできた気になっていました。実際に社会に出て化学工学という分野が活かすことができる部分というのはほんの一握りで、それ以外のスキル、コミュニケーションスキルとか、プレゼンテーションスキル、スピーキングスキルといったの方が重要であったりします。

しかも、化学工学という学問はアバウトで、計算した結果がそのまま実際のケースと一致することはほとんどありません。安全率という余裕を見て設計するので、設計する上での一種の目安にしか過ぎませんでした。計算結果は意志決定を行う判断材料にはなりますが、それが本当に有効なものかどうかは実際に設備を稼働してみて検証しないと分かりません。

よく学校教育でやっている国語、算数(数学)、理科、社会、英語といった科目が実社会でどのように役に立つのかと言うことは、学校の先生は教えてくれません。それは、学校の先生が実際の社会経験に乏しく、教えることができないからです。なので、学生は実際に実社会に出たときに試行錯誤しながら、今まで身に付けた知識を実行によってて智恵に転化していかなければなりません。

智恵が付くことに対する弊害として、智恵が付くと自分にとっての利害得失を重視しがちになってしまいます。そうすると、社会において詐欺が横行する世の中になってしまい、騙された方が悪いという価値観ばかりになってきます。社会が混沌とした状況下において、価値観の判断基準は分かりやすいお金によって行われ、拝金主義が蔓延してしまいます。

そうならないためにも、「智」だけでなく、「情」が重要になってきます。

「情」とは?

「情」とは、人間が兼ね備えた感情のことで、喜怒哀楽愛悪慾の七情を指します。

自分の利益だけを追求する人は、他人がどうなっても構わないという考え方に陥りがちです。デパートのバーゲンセールを思い浮かべて貰うと分かりやすいです。自分が先に良いものを取ろうとして他人を押しのけている光景です。

「情」というのは、言い換えると人間らしさとも言い換えられます。これを欠いてしまっていると、人に対して厳しく当たったり、冷たくなってしまい、最終的には「自己責任」という言葉で片付けられてしまい、生きづらい世の中になってしまいます。

しかし、「情」というのは、最も変化が激しいものなので、これに偏りすぎると悪い方向に向かいます。

よく商品を購入する際、衝動買いして後悔することはないでしょうか。「感情で買って、理屈で正当化する」と言われますが、感情で行動してしまうと後悔することが多いのも確かです。

私自身振り返って見ても、「情」に流されて失敗したケースがあります。

感情はお金と紐づいており、今買わないと損をするとか、今買うとおまけでもう1個ついてくるという謳い文句で、1年後に購入すれば良いものを前倒しで購入してしまったことがあります。

このように感情に走りすぎると時に弊害となって、自分の身に降りかかります。それを防ぐためには、「意」なるものが必要になってきます。

「意」とは?

「意」とは「意志」のことで、強固なる意志があれば人生に迷いを生じなくなります。

「自分は何のために生きているのか?」ということを無性に問いたくなったことがあるかと思いますが、この意志があればそれに向かって一直線に進んでいくことができます。

それゆえ、「意」には精神作用もあると言われています。

しかし、「意」ばかり強くなってしまっては、ただの頑固者や強情者になってしまい、自分の我ばかり押し通すようになります。

そうならないためにも「智」や「情」が必要となってきます。

全き人と偉い人

渋沢栄一は「智」「情」「意」の3つが円満に兼ね備えた人のことを「全き人」と呼び、仮に性格に欠陥があったとしてもそれを補って余りある人のことを「偉い人」と呼んでいます。

そして、渋沢栄一は「偉い人」を輩出することを希望していますが、社会的な大多数としては「全き人」が多いことを希望すると述べています。そして、これらの「全き人」のことを「常識人」と呼んでいます。

何かの分野で成功するためにはまず何かの分野で成功して「偉き人」になり、そして「智」「情」「意」の3つをバランスよく伸ばしていくのことによって、社会に貢献できる「全き人」が増えていくと社会が好転して循環していくのではないでしょうか。

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