私とプロ野球と時々読書

プロコーチのこばふみです。今日のテーマは「私とプロ野球と時々読書」です。


 

 

 

 

『こばふみ』の始まりの言葉
あなたはうまくいかないときに何をしますか?

私とプロ野球

2019年のプロ野球シーズンも始まりましたが、私は「プロ野球」が大好きなのです。子どもたちに夢を与えることができるのもそうですが、プロ野球という舞台を通じて演じられるドラマが好きだからです。

また、野球を好きになったきっかけはある人物との出会いでした。その人物はぼやきで有名でもあった『野村克也』さん、俗称『ノムさん』です。

御歳83歳ですが、選手としても一流、監督としても一流、著者としても一流です。あまり知られていないかもしれないですが、ノムさんは今までに100冊以上の書籍を出して来られている方です。

また、かなりの名コピーライターでもあります。『ID野球』、『野村スコープ』、『野村再生工場』、『F1セブン』、『マーくん、神の子、不思議の子』等、全てがノムさんが考案されたかは定かではありませんが、様々なコピーで話題性を振りまいて下さっています。よく、選手で一流であっても、監督として一流になれるとは限らないと言われますが、その両方+著者としても活躍されておられる唯一の方です。

そこまで活躍されておられるのには理由があります。野球は身体能力が高ければ活躍できるスポーツのように思われがちですが、それだけで活躍できる選手は一握りではないでしょうか。その身体能力の差を埋めるために必要なことは『考える力』です。

著者の中でも『野球は頭でするものだ』と言われるとおり、キャッチャーであれば配球を組み立てること、バッターであれば配球を読むことや守備位置を考える等、様々な部分で頭を使うことが必要です。また、ノムさんが良く使用していた勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』とは、負けるときには必ず負ける理由があるというものであるというのと、一方で負ける理由があったとても外的要因で勝つこともあるから、勝ったとしても奢ることなく更なる努力が必要であるという意味です。

元々は江戸時代後期の平戸藩主、松浦静山の言葉と言われていますが、彼は剣術の達人であり、「道にしたがい、道をまもれば、勇ましさがなくても必ず勝ち、道にそむけば必ず負ける」ということを説いています。ここでいう道は人道を指し、人として行うべき正しい道を指します。

私と読書

私は小学生時代に高校野球をテレビ中継で見ていたことはありましたが、プロ野球を好きになったのは野村克也さんの影響が大きいです。私が中学1年生の時(1999年)に、電撃的に阪神タイガースの監督になられました。そして一時はダメ虎を首位に立たせるほどでもあり、『純金ノムさん』も発売されるほどのお祭り騒ぎでした。

私は小学校・中学校の時はほとんどと言って良いほど読書をしませんでしたが、読書するきっかけをくれたのがノムさんが書いた書籍でした。そこには、先ほど示した「負けに不思議の負けなし」といった哲学的な話や、ノムさんが現役時代のエピソードが綴られていました。

その中で印象的な話だったのが、巨人のV9を支えた監督川上哲治氏のお話でした。川上監督がミィーティングでどんな話をしているか知りたかったノムさんはライバルである王貞治さんに聞いてみます。巨人の黄金時代を築いた方であるから、さぞ高度な技術的なことを話しているのだろうと誰しもが思うところですが、実際は違いました。

川上監督がミーティングで語っていたことは、人間力のお話だったそうです。プロ野球選手として活躍できるのは、一流選手であれば15年から20年、それ以下の選手でしたら10年未満です。人生100年時代において、プロとして活躍できるのはその1/5~1/10程度です。プロ野球選手として現役でいる期間より引退後の生活が長いから、いつ引退しても路頭に迷わないように教育をしておられたという話です。

この話を読んで、もの凄く感銘を受けた「こばふみ」少年は、そこからというもの、プロ野球と読書にはまっていくのでした。

どん底の時に誰が側にいてくれたか

人は自分が辛いときにこそ経験したことや学んだことが自分をより大きく成長させてくれるということをご存じでしょうか。振り返って見て考えると、自分が辛かった学んだことというのはいつまでも忘れない脳裏に刻まれていますが、自分が上手くいっているときに学んだことというのはあまり覚えていないのではないでしょうか。

一流の選手が必ずしも一流の監督でないのも、自分が一流であるが故に他人の気持ちが十分に分っていないことが原因の一つではないでしょうか。一流選手というのはもちろん努力という点では他の誰よりも怠っていないわけですが、いざ監督となれば自分がプレイするわけでなく他人を動かして試合に勝たなければいけないのですから、選手とはまた違った視点が必要となります。逆に、選手として人一倍苦労してきた人の方が、監督として好まれるケースもあります。

人生において良いとき辛いときということが必ずどこかにあります。私の知人にも辛い時期に自ら死を選んでしまうという人を見てきましたが、「死を選ぶこと以外の他に選択肢があったのではないか」と疑問を抱き、私自身何もできなかったことを後悔する時がありました。私が今コーチングをやっている理由も「自分の才能を活かしてワクワクした人生を全うする人を増やしていきたい」という想いからです。

うまくいっているときは周りに人がたくさん集まる
だが、一番大切なのは、どん底のとき、
誰が側にいてくれたかや

元プロ野球選手・監督 野村克也
『こばふみ』の終わりの質問文
あなたがどん底の時、誰が側にいてくれましたか?

 

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