あなたが「事実」だと思ったことが「事実」ではないかもしれません。
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事実は一つではない?
あなたは「事実」は一つだと思っていませんか?もしかしたら、あなたが思っている「事実」は「事実」でないかも知れません。
中部大学総合工学研究所特任教授である武田邦彦氏によると「事実」には下記の4種類あると仰っています。
① 本当の事実
② 自分の事実(他人の)
③ 社会の事実
④ ウソの事実(無知の事実)武田邦彦氏 虎ノ門サイエンス
① 本当の事実
科学的な事実のことで、誰からみてもその「事実」は本当であると認められるものです。
例えば、地球が丸いとか、太陽は東から昇って西に沈む、地球には重力が働いているといった事柄です。
しかし、これは一昔前までは正しいこととして取り扱われていなかった事柄も含まれます。例えば、「太陽が地球の周りを回っている」という「天動説」が主流だった時代に「地球が太陽の周りを回っている」という「地動説」を唱えたイタリアの天文学者であるガリレオ・ガリレイですが、宗教裁判に掛けられ有罪となっています。
今となっては、「地動説」が科学的に正しいことが証明されていますが、当時からするとそれは異端であり、誰もが信じようとしなかった事柄です。ましてや、宗教的や政治的に弾圧される事態にまで発展しており、なかなか自分が考える事実と違うことを受け入れるということは思っている以上に難しいです。
② 自分の事実(他人の事実)
人は自分が正しいと思う事柄に納得した事柄を事実としてしまいがちです。なので、自分が考えている事実以外の事実が出てくると、それを受け入れられずに喧嘩や最終的には殺人にまで至ってしまう事例は少なくありません。
これが日常茶飯事で発生するのが、家庭で発生する夫婦喧嘩ではないでしょうか。旦那さんが主張していることを奥さんが受け入れられなかったり、その逆に奥さんが主張していることを旦那さんが受け入れられなかったりしているケースがその例です。自分が考えている事実を正しいと言って、それを相手にも強要してしまうことがそもそも喧嘩や争いが起こる原因です。
部隊を世界に広げてみて、世界中で起こっている戦争も同じで、ある国が正しいと思っている事柄や価値観を田の国にも強要させようとしてしまうために発生してしまうのではないでしょうか。
なので、夫婦同士や職場での争い事をなくすためには、自分が考えている事実と他人が考えている事実を確認しなければなりません。
「会社でよく事実と意見をごっちゃ混ぜにしない」と言われたことはないでしょうか?それは確かに、発言者の整理がついておらず、事実と自分の意見がごっちゃ混ぜになってしまっていることも考えられますが、もしかしたら自分が思っている事実と他人の思っている事実が異なるために発生しているのかもしれません。
年齢が離れている場合は上司と部下で知識差がありますので、事実と意見がごっちゃ混ぜになってしまっていることもありますが、年齢が離れていない場合は知識差よりも事実差によって争いが起こると考えられます。
まずは、自分の事実と他人の事実が違うことを知って、様々な視点から物事を捉えることが重要です。コミュニケーションにおけるトラブルの原因の9割近くはこれが基で起こっていることではないでしょうか。
③ 社会の事実
社会一般的に言われている事実のことです。いわゆる、社会の常識と言われるものです。
最近有名になったのは「FACTFULNESS」という書籍ですが、自分が持っているイメージと実際の事実は違うことが多いです。
「センメルヴェイス反射」という言葉を聞いたことはないでしょうか。これは、通説や常識にそぐわない新事実を拒絶する傾向を表します。
1847年オーストリアのウィーン総合病院の医師であったイグナーツ・センメルヴェイスは、当時流行していた産褥熱による産婦の死亡率が高い原因を調査していました。その結果、産褥熱による死亡は分娩を担当する医師の手を次亜塩素酸カルシウムで消毒することにより、劇的に産婦の死亡率を下げることを発見しました。
彼はこの消毒法により死亡率が1%未満まで下げられる科学的な根拠を示したのだが、主流派の医師たちから長年に渡り医師の素手についた細菌で大勢の産婦を殺してきたことを受け入れることができず、彼の発見を無視したり、嘲笑しました。
その後、センメルヴェイスは自分の意見を強く主張したあまりに病院をクビになりました。それでも、彼は諦めず、著書を発表して論敵を激しく批判しました。
その結果、1865年に精神科病院に送られました。逃亡を図りましたが、衛兵たちに見つかって暴行を受けた際の傷が致命傷となり、膿血症で死去しました。その後、ルイ・パスツールが細菌論、ジョセフ・リスターが消毒法を確立し、センメルヴェイスの理論は認められるようになりました。
この話から言えることは、広く社会で認知されてしまっている事実というのは、例え新しい理論が発表されたとしても、それによって実害を被ってしまう人等がいるため、受け入れられるのには時間が必要となってきます。
④ ウソの事実
「ウソも100回言えば本当になる」といわれるように、事実の中にもウソが含まれてしまうことがあります。
これは歴史の中にも多数含まれています。自分が今まで教えて貰った歴史と違う話を聴いて違うと感じたことはないでしょうか。
例えば、中国の歴史とか日本の明治時代や日本の戦後といった歴史です。
中国は易姓革命によって何度も王朝が変わっているので、変わった皇帝によって滅ぼされた国の歴史は改ざんされてしまっています。日本の明治時代においても、明治維新を起こした幕末武士の話が美談化されています。日本の戦後においても日本が悪者という「自虐史観」という偏った歴史観を持たされてしまっています。
事実を知るためには?
現在の情報で溢れかえってしまっている現代において真実を知るというのはなかなか難しいかと思います。そんな中で私が真実を知るためにやっている事柄をご紹介します。
② 自分が信頼できると思う人の話を聴く
③ 情報にお金を掛ける。
「① 様々な書籍や文献を調査する」
偏った意見にとらわれないようにするために、敢えて真逆のことを言っている内容を調査してみることです。両方読んでみて、内容が良く理解できるものは真実に近く、何を言っているのかよく分からない、理路整然としていないものは誰か他の人の事実であり、それは本当の事実でない可能性が高いです。
「② 自分が信頼できると思う人の話を聴く」
自分が信頼できると思っている人に話を聴いてみるということも重要です。自分が心から信頼している人からの話というのは、全力で聴きに行こうとします。だからこそ、その人が言っていることを言うのは、自分の中でも受け入れやすくなります。所謂、師匠と弟子という関係でしょうか。
たまに自分が信頼していると思っている人に裏切られてしまうという話もありますが、それは裏切った人が悪いのは前提にはありますが、それを見抜くことができなかった自分にも非がありますので、「良い勉強になった」と切り替えて新しい道を踏み出して行きましょう。
「③ 情報にお金を掛ける」
お金を必要としている情報源というのは、仮に間違っているということがばれた場合、それ以降購入してくれなくなってしまいますので、お金を払って情報を購入するということは真実を知るためにも有効な手段です。
このブログに関してもお金を払って見て頂いていないので、真実ではないのではと思われるかもしれません(笑)。正しい情報を掴み取る目を養っている方であれば、それが事実かどうかは見抜くことができるではないでしょうか。