「もうそろそろ」で自分の寿命を決めてませんか?

先日本来人間の寿命は140歳というブログを書いたのですが、今回も寿命について考えていきたいと思います。

寿命は誰が決めているか

あなたの寿命は誰が決めているでしょうか?自分それとも他人でしょうか。

結論から言うと、両方存在します。

自分で寿命を決めてしまう代表例は自殺です。自ら寿命を選んでしまっています。

他人によって寿命を決められて例は、当然ながら他の人に殺されてしまうということです。しかも、殺しているのは、人であるとは限りません。動物によって殺されるケースもありますし、ウイルスによって殺されるケースもあります。

「人生100年時代」と謳われていますが、私の周りの方を見ると若くして亡くなられる方が少なからずいらっしゃり、本当に「人生100年時代」が到来しているのかには疑問を感じます。

ここ3年以内に亡くなられた方を思い浮かべてみると、自分で寿命を決めてしまった方もいますし、自分では決めることができない他からよって亡くなられた方もいらっしゃいます。

世界に目を広げてみると、食べるものがなくなくて餓死する人、戦争の被害にあって亡くなる人がいます。

自然界においては弱肉強食でできています。自然界を見ても、強いものが弱いものを支配していますし、強いものが弱いものを捕食します。弱い動物は外敵から身を守るために群れで行動したり、時には岩や木といった何かに擬態します。

こう考えてみると、「寿命」というのは自殺以外は自分ではどうすることもできないような見えない力で動かされているのではと感じることさえあります。

科学的に寿命を検証してみる

寿命を科学的に捉えた武田邦彦さんが面白いことを仰っていたのでそれについて論じていきます。

寿命の決まり方

・野獣、凍死、餓死、病気。
・不摂生、気力、去りたい。
・もうそろそろ
・劣化、必要がない

武田邦彦さんは寿命には上記の4つがあると仰られていました。

ここで気になるのは3つ目「もうそろそろ」です。

人間は頭で考える生き物であるので、「もうそろそろ」と判断してしまうと生活がそういう方向に向かってしまうのだそうです。

例えば、人間の平均寿命が80歳とすると、80歳を超えるともう自分もそろそろ寿命を迎えるのかなと思うようになります。そうすると、急に足腰が痛くなったり弱ってきます。そして、足腰が痛くなってきたら、歳のせいにします。「自分ももう歳だから、足腰が痛くなっても当然だよね」と考えるようになります。

逆に80歳になっても、自分はまだまだ現役として頑張れると思っている方は背中は曲がっていないですし、ものもはっきりと申します。「病は気から」と言われるように、自分がつらいなとか頑張れないなと弱気になっている時に病気にかかりやすかったりします。

「自身のお墓を作った方が早く亡くなる」という話を聞いたことないでしょうか。これも「もうそろそろ」という自分で自分の限界を作ってしまったことによることも大きいと思われます。実際にはお墓を作って早く亡くなられる方もいますし、長生きされる方もいらっしゃいます。こうした話が広まった背景として、お墓を作って早く亡くなられる方のインパクトが大きいのと、人は噂話をするのも聞くのも好きなので、噂が噂を呼んだというケースも考えられます。

これが科学的かどうかはわかりませんが、いずれ科学的に証明される日が来ると思われます。

自分は社会に必要とされているのか?

寿命を科学的に捉えた最後に「必要ない」というのがあります。人間誰かに必要とされたいと思うもので、自分の存在を否定されると生きづらくなってくるものです。

特に60歳で定年を迎えられた方や65歳再雇用を終えた方は、今まで必死に仕事を頑張ってきて社会的に必要とされているという自分のニーズを満たしていたのですが、その会社の看板から外れた途端、自分の居場所がなくなり寂しさを感じます。会社に所属すると肩書で仕事しているところもあり、その肩書がなくなってしまうと、ただのおじさん、おばさんでしかありません。

私の父が昨年65歳で再雇用終了して、家にずっといる生活を送っており、たまにテレビ電話をすると髪の毛が薄くなっているような感じを受けました。

60歳になってから第2の人生を歩んだり、自分の居場所を作るというのは難しいです。なので、現役時代に仕事をしながら、別のコミュニティを持つことはある意味理にかなっていることです。

仕事をすることは自己表現の一つであり、自分自身の生命の根源です。「働かざる者、食うべからず」というように、働くことと生きることは同意です。

あなたはどのような寿命を迎えたいですか?

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