あなたは子どもに対して下記の3つの誤った教育をしていませんか?
1.他者と比較する
「〇〇ちゃんは勉強できるのに、なぜあなたは勉強ができないの?」
「〇〇くんは走るのが速いのに、なぜあなたは走るのが遅いの?」
「〇〇さんにできて、あなたはなんでできないの?」
子どもに対して、上記のような台詞を言ったことはないでしょうか。
上記は全て他者との比較であり、
子どもの成長を妨げる原因になってくる可能性もあります。
この他者との比較が大きくなってもトラウマとなり、
自分の能力があるのにも関らず、自分はできないやつだとレッテルを貼って、
限界を作る原因にもなりかねます。
例えば、小学校の時に足が遅い子どもに対して、
他者比較をして遅い理由を尋ねたとします。
その子は言ったことに対して劣等感を抱くとともに、
更に徒競走でビリになって、みんなから笑われたとしたら、
徒競走に二度と出たくないと脳裏に焼き付いてしまいます。
そうなると走ることに対して、かなりの恐怖感を持って
二度と走ることをしないようになってしまいます。
そうならないためには、他者と比較するのではなく、
自分と比較する必要があります。
特に子どもの場合、大きく羽ばたかせるためにも
自分の理想と比較させるのが良い方法です。
自分の理想と比較させることにより、
自分の成長にフォーカスが向けられ、
理想に近づくことが楽しくて仕方がないと思うようになってきます。
2.子どもに自分の理想を投影していませんか?
大人は自分の子どもに対して自身ができなかったことを投影する傾向にあります。
自分がプロ野球選手になることができなかったからと言って、
子どもに野球を押し付けているのが、良い例です。
生まれたての子どもの可能性は無限に広がっています。
子どもの時には出来なかったことが出来るようになったら
周囲の大人から「君は天才だね」と
言われたことがあるのではないでしょうか。
私は5、6歳の時に、喫茶店でお釣りの間違いに気づいて
店員さんに間違いを指摘したことで、
「お釣りの間違いに気づくなんて天才だ」と
周りの大人たちに褒められたのを今でも記憶しています。
子どもの可能性を広げて上げるためにも、
親の経験から子どもに習い事をさせるのは悪いことではありませんが、
子どもが興味を持っておらず、
継続すべきでないのであればきっぱりやめさせるのも選択肢です。
選択権は子どもにもあるので、
子どもが辞めたいと言えば、その声を聴いてあげるのも両親の務めです。
時々これだけ子どもに投資しているのだから、
なんとしても続けて欲しいと願う両親がいますが、
見返りを求めない無償の愛(=アガペー)が必要です。
アガペーを受けた子どもほど、素直に育ち、
大きくなった時にその愛に報いる結果を残すような
大物になるかもしれません。
ちなみに、見返りを求める愛のことはエロスと言います。
エロスだけが愛ではなく、アガペーこそが本来の愛の意味ではないでしょうか。
3.子どもの逃げ場を塞いでいませんか?
一昔前の子どもは2世帯住宅であり、子どもが親に怒られたときは、
おじいちゃんおばあちゃんのところに逃げ込んだ経験はないでしょうか。
子どもにとって、祖父母のところというのは逃げ場でもあったのです。
しかしながら、近年の核家族化が進むにつれ、
両親と子どもという閉ざされた空間の中で生活していくうちに
子どもの逃げ場がなくなってきつつあります。
子どもは失敗をしながら育っていく過程において、
失敗すると怒られるという構図ができしまうと、
子どもは失敗しないような行動しかとらなくなってしまいます。
失敗しないということは、様々なことに挑戦しなくなっていき、
それが大人になったときの障害にもなってきます。
『孫子の兵法』にもあるように、
敵の逃げ場をなくしてしまうような戦い方をすると
最後は逆に襲い掛かってくる事態にもなり兼ねません。
諺で言うと『窮鼠猫を嚙む』です。
追い詰められた鼠ほど怖いものはなく、
必ず相手に逃げ場を与えることが戦略上とても重要です。
子ども対しても同じで、追いつめれば追い詰める程、逃げ場がなくなり、
最終的には不登校になってどうしたらよいか分からなくて困り果てる
といった状況に陥ったりします。
ここでいう逃げ場とは、
習い事が辛くなったら辞めても良い、
学校が辛くなったら休んでも良いということです。
今の時代、学校に行かなくても学ぶ環境は整ってきています。
だからこそ、子どもにとってベストな選択は何かということを
親と子どもが一緒になって考えていく必要があります。
最後に子どもに対して、祖父母という逃げ場がなくなった今だからこそ
新たな逃げ場をきちんと用意してあげることも非常に重要です。